初めてニュージーランドに住んだ日本人ってだれ?
ニュージーランドでの生活はトータルで6年になります。
4年半ほど住んで日本に帰国し、再び去年からニュージーランドに住み始めました。
初めてこの国に来たのは2001年。
その頃は、今ほど日本人は住んでいなかったように思います。
オークランド領事館のデータをみてみると、過去の在留邦人数の推移は以下のようになっていました。
2008年 13,507人
2010年 13,569人
2012年 14,409人
2014年 16,705人
2016年 18,706人
2017年 19,664人
右肩上がりに増えていますね。
ここでふと、ある疑問がわきました。
「初めてニュージーランドに住み始めた日本人て一体誰なんだろう?」
歴史をさかのぼってみると、野田朝次郎(ノダ アサジロウ)さんだということがわかりました。
(出所 Te Ara)
朝次郎さんがニュージーランドにやってきたのはなんと明治時代。
今から130年〜140年くらい前だと言われています。
当時は一般人が海外へ行けるような時代ではありません。
朝次郎さんはどうやって、そしてなぜニュージーランドにやってきたのか。
それは彼がまだ子供の頃(8才〜10才)のこと。
長崎に停泊していた英国船に父親と乗船したのですが、その時、事件が起こります。
朝次郎さんがまだ船上に残っていたにもかかわらず、船が出航してしまったのです。
その後、運よく日本行きのドイツ船に乗ることができたのですが、なぜか朝次郎さんが故郷に戻りませんでした。
理由はよくわかっておらず、船員として過ごすうちにニュージーランドへやって来たそうです。
そして、南島のインバカーギルに住み始めました。
日本政府が支援する本格的な日本人移民が初めてやって来たのは1905年。
そのおよそ10年ほど前には朝次郎さんはニュージーランドに住んでいたんです。
朝次郎さんは流暢なドイツ語を話したという記録が残っています。
ニュージーランドでも接客(レジ係)の仕事を見つけたようなので、この国に住み始めた頃には英語も話せたのかもしれません。
明治時代の人で3ヶ国語を話せた人がいたんですね。
朝次郎さんは1908年にニュージーランドに帰化。
北島のワイカト地方に引っ越しをしてイチゴ農家となります。
品種改良に精を出して成功し、地元ではトミーと呼ばれていたとか。
家族はマオリの女性と結婚をして五人の子供を授かりました。
幸せな人生を送っていたはずでしたが、晩年太平洋戦争が起きて敵国の日系人は強制収容所に入れられてしまいます。
朝次郎さんは高齢だったため収容は逃れましたが終戦前の1942年に亡くなりました。
それから時が経過し、1985年。
ワーキングホリデースキームが日本とNZで交わされた事によって、両国の交流は一層進みます。
翌年、ニュージーランドが技能に基づく移民の受け入れを開始。
日本人移民数も増える事になり、現在、2万人近くもの日本人がこの国で生活をしています。
数奇な運命によって初のニュージーランド移民となった野田朝次郎さん。
大好きなイチゴを食べるとき、「これは朝次郎さんが品種改良したものかな」なんて思い出すでしょうね。