ワイトモ洞窟のツチボタルはニュージーランド随一の観光スポット。洞窟の成り立ちやツチボタルの生態などを知っておくと訪れた際の楽しみ方がより一層増すこと間違いなしです。

ツチボタルはホタルの一種と思われがちですが実はヒカリキノコバエというハエの仲間です。光を出しているのはミミズの形をした幼虫(マッチ棒ほどの大きさ)で成虫になると蚊のような見た目になります。ツチボタルの成虫には口がなく子作り(2〜3日)がすむと死んでしまいます。
ホタルではなくハエの仲間

ツチボタルツアーで有名なワイトモ洞窟。マオリ語でワイは水、トモは入口または穴を意味します。ワイトモは地上の母パパトゥアヌクにたいする空の父ランギヌイの想いが涙(雨)となって落ち、洞窟と小川を形作ったというマオリ族の伝説が代々言い伝えられています。
ワイトモ洞窟の伝説

石灰岩でできたワイトモの地表は日光にさらされて裂け目ができます。そこに雨水が流れ込み地下へ向かって伸びる雨水の通り道に。空気に触れて酸性となった雨水は地面に染み込んでいく時、土壌の中から二酸化炭素を取り込んで酸性度を高めていきます。
ワイトモ洞窟ができるまで②

二酸化炭素が抜けた雨水にはチョークの主成分としても知られる炭酸カルシウムが残ります。この炭酸カルシウムを多く含んだ水が天井から滴り落ちることによって形成されるのが吊り下がる巨大な鍾乳石で、地面から突き出すように伸びるのが石筍です。
ワイトモ洞窟ができるまで⑤

地下には川が流れており、そこで用 いたのは亜麻(あま)という植物で編んで作ったイカダ。暗い洞窟内をイカダで移動していた時、彼らは川面に反射する青い光りを見つけます。目が暗闇に順応し、天井を見上げると星空のような光景です。そこいたのは無数のツチボタルでした。
見上がると無数のツチボタル

ツチボタルは英語でグローワーム(光るミミズ)と言います。ツチボタルが光を出すのはエサを捕獲するため。口から粘着性の糸(30cmくらい)を20本前後垂らします。光を発すると洞窟内にいる昆虫がおびき寄せられて糸にくっつきます。あまりの美しさに人も惹きつけられます。
なぜ光を放つのか?

深いところで地下250mにも達するワイトモ洞窟。夏に訪れると少し涼しく感じ、冬だと逆に暖かいように感じます。その理由は洞窟内部の温度が12~14℃の範囲で1年中一定だから。ちなみに地下に流れる水の温度も大きく変化することはありません。
洞窟内の環境

酸性の雨水がアルカリ性の石灰岩を溶かして地下へとしみ込んでいきます。地下の水脈は周りの石灰岩を溶かし、徐々に大きくなった空洞は近くの空洞と連結。そうしてできあがるのが鍾乳洞です。地下水脈によって洞窟ができた後、地殻変動によって土地がさらに隆起します。
ワイトモ洞窟ができるまで③

洞窟内で見られる鍾乳石や石筍ができるまでには途方もない年月がかかります。たった1cm伸びるためかかる時間は100年とも言われます。1mの鍾乳石ができるまでには1万年もの時間がかかっている計算になり1m以上の鍾乳石は非常に稀なものなのです。
ワイトモ洞窟ができるまで⑥

その後、タネたちは洞窟に入っては戻りを繰り返しながら探検を続け、アクセスしやすいルートを発見。そして政府の調査員によってマップが作られ観光地として解放されることに。タネはワイトモ洞窟のツアーガイドとして活躍し、二番目の妻フティもガイドを務めたそうです。
観光客に開放されるまで

ツチボタルは珍しい生き物なのは特別な条件が整った環境でなければ生きられないから。乾燥 しない適度な湿度がある・風がない(粘着糸を垂らしても絡まない)・光が目立つ暗さがある・餌になる昆虫がいる・安全であるなどの条件をクリアしている場所はそう多くはありません。
ツチボタルが珍しいのは...

今から約3000万年前。当時のワイトモは海底にあり貝殻やサンゴ、魚の骨などがたまっていました。長い時を経てそれらは地層のように積み重なり圧縮され石灰岩(ライムストーン)を形成。その後、地殻変動によって隆起が起こり海底だった場所が陸上に姿を現しました。
ワイトモ洞窟ができるまで①

地下水がさらに深い層へ移動すると今まで地下水が流れていたところは大きな空洞になります。ワイトモ地域にはこうした洞窟が300ほどあると言われています。空洞となった洞窟内に染み出した雨水は地中の圧力から解放されて二酸化炭素が抜け落ちます。
ワイトモ洞窟ができるまで④

1888年にワイトモ洞窟が観光客に公開される前にこの地を発見をしたのはマオリ部族長タネ・ティノラウと英国人測量士フレッド・メイス。真っ暗な洞窟内で頼りになるのはロウソクのあかりだけ。原始的な装備で地下の暗闇を探検するのは、さぞ勇気のいることだったでしょう。
ワイトモ洞窟を発見した二人

ワイトモ洞窟は1904年に政府が取得。それから86年後の1990年に発見者であるタネの子孫に返還されました。タネには多くの子供がおりその数は16人。現在、ワイトモ洞窟ツアーの従業員はタネの子孫たちが多くを占め、彼らによって管理されています。












